釈尊(しゃくそん)は、今から約3000年前、人々を救うため50年間にわたって説法し、その最後の8年間で出世の本懐(目的)である法華経(ほけきょう)を説かれました。
この法華経の予言どおり、釈尊滅後2000年が経過し、釈尊仏法の功力がなくなる末法(まっぽう)時代に、民衆を救済する仏として出現されたのが、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。
日蓮大聖人は、法華経の極理を御本尊(漫荼羅)として顕され、その御本尊に向かって“南無妙法蓮華経”の題目を唱えることにより、いかなる人も仏の境界に至ることができると説かれました。
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西 紀 | 年 号 | 月 日 | 事 蹟 |
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1222 | 貞応元年 | 2月16日 | 宗祖日蓮大聖人 安房東条郷片海(千葉県鴨川市)に誕生 |
1253 | 建長5年 | 4月28日 | 日蓮大聖人 安房清澄寺にて宗旨建立(立教開宗) |
1260 | 文応元年 | 7月16日 | 日蓮大聖人 『立正安国論』を幕府に奏呈 |
1260 | 文応元年 | 8月27日 | 日蓮大聖人 松葉ヶ谷法難 |
1261 | 弘長元年 | 5月12日 | 日蓮大聖人 伊豆へ配流 |
1264 | 文永元年 | 11月11日 | 日蓮大聖人 小松原法難 |
1271 | 文永8年 | 9月12日 | 日蓮大聖人 竜口法難[発迹顕本] |
1271 | 文永8年 | 10月10日 | 日蓮大聖人 佐渡へ配流 |
1274 | 文永11年 | 5月 | 日蓮大聖人 身延(山梨県)入山 |
1279 | 弘安2年 | 10月12日 | 日蓮大聖人 本門戒壇の大御本尊を建立 |
1282 | 弘安5年 | 9月 | 日蓮大聖人 日興上人に『日蓮一期弘法付嘱書』を与え、本門弘通の大導師(後継者)と定める |
1282 | 弘安5年 | 10月13日 | 日蓮大聖人 日興上人に『身延山付嘱書』を与え、身延山久遠寺の別当(住職)と定める |
1282 | 弘安5年 | 10月13日 | 日蓮大聖人 武州 池上宗仲の館(東京都大田区)にて御入滅 |
1282 | 弘安5年 | 10月25日 | 第二祖日興上人 大聖人の御遺骨を奉じて身延に帰山 |
1289 | 正応2年 | 春 | 日興上人 波木井実長の謗法により、身延を離山 |
1290 | 正応3年 | 10月12日 | 日興上人 南条時光から大石が原の寄進を受け、大石寺(静岡県富士宮市)を創建 |
1332 | 元弘2年 | 11月10日 | 日興上人 日目上人に『日興跡条条事』を与え、一閻浮提の座主(後継者)と定める |
1333 | 正慶2年 | 2月7日 | 日興上人 重須(静岡県富士宮市)にて入滅 |
1333 | 正慶2年 | 10月 | 第三祖日目上人 法を日道上人へ付嘱する |
1333 | 正慶2年 | 11月15日 | 日目上人 美濃垂井(岐阜県)にて入滅 |
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時 代 | 登座年 | 歴 代 | |
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鎌倉時代 | 宗祖日蓮大聖人 | ||
1282 | 弘安5年 | 第2祖 日興上人(にっこうしょうにん) | |
1298 | 永仁6年 | 第3祖 日目上人(にちもくしょうにん) | |
1333 | 元弘3年 | 第4世 日道上人(にちどうしょうにん) | |
室町時代 | 1339 | 延元4年 | 第5世 日行上人(にちぎょうしょうにん) |
1369 | 正平24年 | 第6世 日時上人(にちじしょうにん) | |
1406 | 応永13年 | 第7世 日阿上人(にちあしょうにん) | |
1407 | 応永14年 | 第8世 日影上人(にちえいしょうにん) | |
1419 | 応永26年 | 第9世 日有上人(にちうしょうにん) | |
1467 | 応仁元年 | 第10世 日乗上人(にちじょうしょうにん) | |
1470 | 文明2年 | 第11世 日底上人(にっていしょうにん) | |
1482 | 文明14年 | 第12世 日鎮上人(にっちんしょうにん) | |
1527 | 大永7年 | 第13世 日院上人(にちいんしょうにん) | |
安土桃山時代 | 1573 | 天正元年 | 第14世 日主上人(にっしゅしょうにん) |
1596 | 文禄5年 | 第15世 日昌上人(にっしょうしょうにん) | |
江戸時代 | 1622 | 元和8年 | 第16世 日就上人(にちじゅしょうにん) |
1632 | 寛永9年 | 第17世 日精上人(にっせいしょうにん) | |
1633 | 寛永10年 | 第18世 日盈上人(にちえいしょうにん) | |
1645 | 正保2年 | 第19世 日舜上人(にっしゅんしょうにん) | |
1652 | 承応元年 | 第20世 日典上人(にってんしょうにん) | |
1673 | 延宝元年 | 第21世 日忍上人(にちにんしょうにん) | |
1680 | 延宝8年 | 第22世 日俊上人(にっしゅんしょうにん) | |
1688 | 貞享5年 | 第23世 日啓上人(にっけいしょうにん) | |
1692 | 元禄5年 | 第24世 日永上人(にちえいしょうにん) | |
1708 | 宝永5年 | 第25世 日宥上人(にちゆうしょうにん) | |
1718 | 享保3年 | 第26世 日寛上人(にちかんしょうにん) | |
1720 | 享保5年 | 第27世 日養上人(にちようしょうにん) | |
1726 | 享保11年 | 第28世 日詳上人(にっしょうしょうにん) | |
1732 | 享保17年 | 第29世 日東上人(にっとうしょうにん) | |
1736 | 享保21年 | 第30世 日忠上人(にっちゅうしょうにん) | |
1740 | 元文5年 | 第31世 日因上人(にちいんしょうにん) | |
1750 | 寛延3年 | 第32世 日教上人(にっきょうしょうにん) | |
1756 | 宝暦6年 | 第33世 日元上人(にちげんしょうにん) | |
1764 | 明和元年 | 第34世 日真上人(にっしんしょうにん) | |
1765 | 明和2年 | 第35世 日穏上人(にちおんしょうにん) | |
1770 | 明和7年 | 第36世 日堅上人(にっけんしょうにん) | |
1776 | 安永5年 | 第37世 日琫上人(にっぽうしょうにん) | |
1783 | 天明3年 | 第38世 日泰上人(にったいしょうにん) | |
1785 | 天明5年 | 第39世 日純上人(にちじゅんしょうにん) | |
1791 | 寛政3年 | 第40世 日任上人(にちにんしょうにん) | |
1795 | 寛政7年 | 第41世 日文上人(にちもんしょうにん) | |
1796 | 寛政8年 | 第42世 日厳上人(にちごんしょうにん) | |
1799 | 寛政11年 | 第43世 日相上人(にっそうしょうにん) | |
1803 | 享和3年 | 第44世 日宣上人(にっせんしょうにん) | |
1807 | 文化4年 | 第45世 日礼上人(にちれいしょうにん) | |
1808 | 文化5年 | 第46世 日調上人(にっちょうしょうにん) | |
1814 | 文化11年 | 第47世 日珠上人(にっしゅしょうにん) | |
1817 | 文化14年 | 第48世 日量上人(にちりょうしょうにん) | |
1820 | 文政3年 | 第49世 日荘上人(にっそうしょうにん) | |
1831 | 天保2年 | 第50世 日誠上人(にちじょうしょうにん) | |
1836 | 天保7年 | 第51世 日英上人(にちえいしょうにん) | |
1853 | 嘉永6年 | 第52世 日霑上人(にちでんしょうにん) | |
1862 | 文久2年 | 第53世 日盛上人(にちじょうしょうにん) | |
明治時代 | 1869 | 明治2年 | 第54世 日胤上人(にちいんしょうにん) |
1873 | 明治6年 | 第55世 日布上人(にっぷしょうにん) | |
1889 | 明治22年 | 第56世 日應上人(にちおうしょうにん) | |
1908 | 明治41年 | 第57世 日正上人(にっしょうしょうにん) | |
大正時代 | 1923 | 大正12年 | 第58世 日柱上人(にっちゅうしょうにん) |
1926 | 大正15年 | 第59世 日亨上人(にちこうしょうにん) | |
昭和時代 | 1928 | 昭和3年 | 第60世 日開上人(にちかいしょうにん) |
1935 | 昭和10年 | 第61世 日隆上人(にちりゅうしょうにん) | |
1937 | 昭和12年 | 第62世 日恭上人(にっきょうしょうにん) | |
1946 | 昭和21年 | 第63世 日満上人(にちまんしょうにん) | |
1947 | 昭和22年 | 第64世 日昇上人(にっしょうしょうにん) | |
1956 | 昭和31年 | 第65世 日淳上人(にちじゅんしょうにん) | |
1959 | 昭和34年 | 第66世 日達上人(にったつしょうにん) | |
1979 | 昭和54年 | 第67世 日顕上人(にっけんしょうにん) | |
平成時代 | 2005 | 平成17年 | 第68世 日如上人(にちにょしょうにん) |
創価学会は、かつて日蓮正宗の信徒団体の1つでした。
日蓮正宗は、平成3年(1991)11月、日蓮正宗の信仰から逸脱し、度々の訓誡にも反抗して宗門を攻撃する創価学会を破門しました。これにより創価学会は、日蓮正宗と全く関係の無い団体となりました。
破門の経緯や創価学会について知りたい方は、こちらをご参照ください。
顕正会はその前身を妙信講といい、かつては日蓮正宗の法華講支部の1つでした。
日蓮正宗は、昭和49年(1974)8月、教義上の邪説を立て宗門を攻撃する妙信講に対して講中解散処分を下しました。この時、妙信講に所属する信徒は本宗信徒としての資格を失いました。
その後、妙信講は顕正会と名称を変更し、現在「冨士大石寺顕正会」と称していますが、日蓮正宗や大石寺と全く関係の無い団体です。
正信会は、昭和52年(1977)頃から表面化した創価学会の教義逸脱問題に端を発して、日蓮正宗の元僧侶が中核となっている団体です。
正信会は、日蓮正宗の御本尊や教義を利用しながら、自分達にとって不都合な教義は改変しており、「日蓮正宗正信会」と称していますが、日蓮正宗とは全く異なる集団です。
*創価学会、顕正会、正信会の略年表は、以下のリンクをご覧ください。
→〔昭和〜平成〕創価学会・顕正会・正信会 異流義化の流れ(PDF 860KB)